代表挨拶
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代表挨拶GREETING

この会社に頼んで良かったと言ってもらえるのには
理由があります。

代表挨拶

はじめまして!明彩工業の佐藤隆乃里です。
当社では、塗装工事が完了した時に「この会社に頼んで良かった」とお客様に感じてもらうことを使命としています。
その理由は、私が一級塗装技能士という、塗装職人としての技術を見る資格の検定員をしていることもあります。

ただ、それ以上に、私の生い立ちも関係していますので、少し長くなりますが自己紹介をご覧ください。

小学4年生。この頃から仕事を手伝うように

生い立ち 英才教育

明彩工業株式会社は、昭和33年に父が創業した三鷹市の塗装工事会社です。私は2代目の社長になります。

私は、小さな頃からお金に厳しい父親に認められようと、がむしゃらに頑張ってきました。
長男として、塗装屋家業を継ぐためにいわゆる英才教育を受けてきたのですが、それがちょっと変わった体験ですので、少しだけ聞いて下さい。

小学4年の頃から、私は毎朝6時に会社のシャターを開けに行き、掃除をして、出社してくる職人さんにお茶を煎れていました。今で言う出勤簿の出面(でづら)に○印を書くところから一日が始まります。
月末に30日×20円=600円の請求書を書き、父に渡すと、給料(おこづかい)が貰えました。
領収書まで書かされる徹底ぶりでしたが、冬場の寒い時期は、冬季手当と言って1日10円をプラスしてもらえるのが嬉しかったのを覚えています。早起きが習慣になったのはこの頃のお陰です。

とくにお金の管理は厳しく教えられ、野球のグローブを買ってもらった時には、一人で3箇所のお店に値段を調べに行かされました。見積書(価格比較)を書き、父に渡すと一番安い値段のお金をくれる。全てにおいてそんな商売ごとをさせられていたので、きっちりした性格になったのかもしれません。

父からの呪縛

そして、6年生の夏休みには現場で塗装の仕事を手伝うようになりました。

早くから仕事を覚えたせいで、高校生のときには、友人とスキーに行こうとして「骨をおったら誰がお金を稼ぐんだ!」と叱られて断念したこともあります。
今の時代なら、ある意味で支配に近いかもしれません。当時、まだ若かった私も「父の言いなりになっているんじゃないか?」と葛藤しました。そして、父と距離を置くようになります。

自分を見つめ直すため、中国やロンドンに一人旅にでたことも
(写真は万里の長城にて)

同じ屋根の下に住んでいるのに、目も合わせず、話もせずという毎日。いつの間にか、そんな自分の事も嫌になってしまいました。

そうやって父に反抗していたとはいえ、生活していくには家業を継ぐしかありませんでした。
なぜなら、弟、妹がまだ学校に通っているのに、父は51歳で引退し、毎日ゴルフばかりしていたからです。

行きたかった大学への進学も父から反対されられたことで、断念。このときに、父への嫌悪が心の深い部分に焼き付いたように思います。

「もっと稼げ、もっと稼げ、これでは足りない」という父の影に取りつかれ、私は日曜日も休まずに働きました。距離をおいた生活を送りながらも父からの呪縛から逃れられず、いつの間にか楽しく働けなくなっていました。

この、楽しく働けない時間はとても長く続きました。私が50歳の時に父を看取ったのですが、その後も続くことになります。

「父親に認められよう」から「毎日楽しく仕事をして充実した生活を送ろう」

父は居なくなったのに、楽しく働けない。不思議に思った私は、自分の心と向き合うため、カウンセリングを受けてみました。すると、見えてきたのは厳しい父の姿ではなく、父に喜ばれたい、認められたいというもう一人の自分でした。

「長男だから家業を継ぐべき」
「長男だから親と兄弟の面倒を見るべき」
「自分が犠牲になっても家族に尽くすべき」

このような父親の喜ぶような「〇〇すべき」という考えが、楽しく働きたいと願う私の前に立ちはだかっていたのです。そんな、もう一人の自分を意識できるようになったことで、私の考え方は大きく変わりました。

「両親は幸せに暮らせたじゃない。好きなゴルフも沢山させてあげられたじゃない。親孝行で偉いよ。」
「忙しい母親の代わりに、弟の靴下の穴を繕ってあげたじゃない。妹の保育園のお迎えも毎日したじゃない。弟、妹の学費を出してあげたじゃない。」
「自分を後回しにしてでも家族の幸せを優先してきたじゃない。」
「よくやって来たのだからもういいよ。よく頑張ったね。」

このように、もう一人の自分を褒めてあげるようにしたのです。

そして、日曜日だけは半日でも休むようにして、ジョギングやスイミングをするようにしました。50歳でトレーニングを始め、不運にも51歳で心臓の手術をしましたが、52歳で初めてトライアスロン(一番短いショート)に参加することもできました。
4人の子供達とスキーに行き、妻と娘とはチームを作り、地元の市民駅伝にも参加しました。

すると、不思議なことに、仕事の方でも「明彩工業に頼んで良かった」、「職人さんの挨拶が気持ちよかった」、「工事が終わってしまうのが寂しい」と言っていただくお客さんが多くなってきたのです。

「父親に認められよう」から「毎日楽しく仕事をして充実した生活を送ろう」に気持ちを切り替えられたことで、活き活きと働ける。
それが職人さんたちにも伝わり、皆が活き活きと働くことで「この会社に頼んで良かった」と言ってもらえる現場作業となる。そんな好循環が生まれたのだと思います。

このような経験から、明彩工業の理念は売上や利益を上げることではなく、「この人に頼んで良かった」というシンプルなものです。ただ、そのシンプルが実に深いテーマなので自己研鑽の毎日を送っています。

父と私

ところで、私と父には、こんなエピソードもあります。

私が28歳の時に、皇居内の済寧館(さいねいかん)という武道場の塗装を担当しました。皇居の守衛所で免許書を提示し、登録が確認できると大きな鉄門が開き、皇居の中に入ります。

警備の厳しい皇居に入る車には自然と参観に訪れる人々の視線が集まり、ちょっとした優越感を感じたものです。皇居の中には馬場があり、儀礼用の馬車を引くとても美しくツヤツヤの馬を見たのは懐かしい思い出です。

この皇居の工事が決まった時に、きっと父が喜んでくれる、認めてくれると思い、父も作業員として登録しておきました。黒塗りのレンタカーの後部座席に背広を着た父を乗せ、皇居参観をしている人々の間を走り抜け、皇居内の現場を見に行きました。

この時の父はたいそう喜び「うちの会社もこんなに立派になったんだ。嬉しいな。」を連呼し喜びました。父も苦労して生きてきて、それが報われた時だったのでしょう。父との距離が少しだけ近くなったひと時でした。

「この人に頼んで良かった」と言われる仕事を

36歳のときには、国家資格である塗装技能士という検定試験で、実務検定を採点する検定員に抜擢されました。当時の一番若い検定員は50歳前後の方でしたので、30歳代の私が推薦された時には反対する人もいたそうです。
ただ、若い頃に家業を継いだことで会社役員としての経験年数があったこと、一級塗装技能士資格も持っていたことから、委嘱を受け、今では東京都の18人の検定員の中で3番目に長く務めています。

その後も、会社としては三鷹市役所の本庁舎の塗装工事を元請けとして施工するなど、大きな仕事にも携わっています。

また、最近は三鷹市近辺でも、技術がないのに立派なホームページを使って塗装工事を受注する業者が多くなっています。その影響で、リフォームトラブルの件数も増加しているようです。

そのため、「長寿命リフォームペイント研究会」を立ち上げ、騙されない塗装工事を皆さんにお伝えする啓蒙活動も行うようになりました。 

私はまだ50代ですが、父の影響もあり、塗装一筋で35年以上の経験があります。

そんな塗装の専門家として、一人でも多くの方に「この人に頼んで良かった」と言われる仕事をこれからも実施していきます。

明彩工業株式会社 代表取締役 佐藤 隆乃里